
平戸城
平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。
平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。 丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。
戦国時代の末期に松浦法印鎮信によって築かれ唯一の山鹿流による城郭である。

寺院と教会の見える風景
この一帯は、下から瑞雲寺、光明寺、正宗寺等の寺院が建ち並び、その後背に昭和初期に建てられた聖フランシスコ、ザビエル教会の聖堂がそびえ立っています。
この寺院と教会の調和は平戸ならではの風景である。
また、この通りはかっての勝尾岳城の堀の一面であり、肥前堀と称されていた。

オランダ橋(幸橋)
当初、ここに架けられていた橋は木橋(1669年設置)であったが1702年(元禄15年)石橋に架け替えられた。
かってオランダ商館が築造した、石造倉庫の技法によって造られたといわれており、これが【オランダ橋】の別称の由来となっています。

黒子島原生林
黒子島は、平戸の玄関口になる平戸瀬戸に浮かぶ面積3ha、南西から北東に300m伸びたほぼ楕円形の島で、1375年に小値賀から移された弁財天がまつられた社があります。
全島が原生林に覆われ、よく保存されているため、黒子島原始林として1951年に国の天然記念物に指定されました。
現在は平戸市の所有地で、西海国立公園特別保護地区にもなっております。
島の中央付近には幹周り約10mのアコウの木や、大小のビロウが群生していて中央東側シホウチク(シカクダケ)の群生があります。

平戸神楽
旧平戸藩領内の神社祭礼の際に、神前で奉納される神楽で、神職がおどります。
起源については定かではないですが、平戸に元からあった神楽に、壱岐神楽が招聘されて融合し、さらに江戸時代前期に、橘三喜(たちばなみつよし) が、京都に上って神道を極めるとともに、全国各地の一の宮を巡詣して研究を重ね、それまであった神楽を元にしつつ、全24座におよぶ平戸神楽の形を大成し たと考えられています。

最教寺
最教寺は806年、空海が唐より帰国した際に、この地で座禅等を行ったとされることから寺院で1607年26代平戸藩主松浦(法印)鎮信によって建てられました。
それまで禅宗の寺があり龍呑(りゅうどん)という和尚と栄鉄(えいてつ)という弟子がいました。
鎮信公は、この地に真言宗のお寺を建てたいと寺の授築を龍呑に求めましたが拒んだため、鎮信公は寺を焼き払いました。
龍呑と栄鉄は火の中に飛び込み自分たちの体で仏様を守りました。
そして、龍呑と栄鉄は死後も亡霊となり、鎮信をしばし悩ませますが赤子の泣き声によって亡霊が消えたといわれ、これが由来して子泣き相撲が始まったといわれています。
子泣き相撲は、赤ん坊を二人台上で対座させて、どちらが先に泣くかを競う行事で、毎年2月3日に平戸最教寺奥の院が行う節分行事となっています。