宝亀教会は世界遺産登録を目指している(長崎の教会群とキリスト教関連遺産)の構成遺産候補のひとつです。
1899年(明治32)に設立された木造の教会です。 正面が煉瓦ずくり、本体が木造で、外廊をもつ聖堂は、珍しい造りとされています。
光を集める南向きに建てられ、白い漆喰が美しい教会です。
2003年(平成15年)3月に県の文化財(建造物)に指定されました。
平戸港の西の小高い丘の上にある薄いグリーン色の教会。
この教会は天文19年(1550年)に平戸を訪れたフランシスコ・ザビエルを記念して、昭和6年に建てられた聖堂である。
この周りには寺院も多くあり、寺院と教会が同居する平戸独特の風景を作っている。
ゴシック建設の要素がみられる。
大正4年から3年の歳月をかけて、信者たちの手によって建設されたロマネスク様式の荘厳な赤煉瓦つくりの教会です。
瀬戸山天主堂とも呼ばれており、教会堂棟梁・鉄川与助の代表作。
色鮮やかなステンドグラスは、絵画を思わせる美しさ。 十字架は高く輝き、アンジェラスの鐘は彼方まで響き渡る。
教会の傍らには歴代の信者が眠る墓地があり、辺り一帯の風景は日本を遠く離れた異国の地をかんじさせます。
1929年(昭和4年)教会作りの名人鉄川与助によって建立された教会で、花柄の模様が豊かに飾られているロマネスク様式の教会です。
東洋一といわれる礼拝堂にはアーチと美しいステンドグラスがはめ込まれて、柱が少なく外観よりも大きな規模を感じ、神秘的な雰囲気をみせています。
平戸の教会には珍しくパイプオルガンがあります。
2010年(平成22年)県の文化財(建造物)に指定されました。
木ヶ津教会は、1962年(昭和37年)に設立された木造の教会です。
内部には、永井隆(医学博士)の絶筆【十字架の道行き】が公開されています。
和紙に描かれた【十字架の道行き】は、永井隆が亡くなる数ヶ月前に病床でかかれました。
永井隆の死後、長崎の浦上教会に寄進されていたものを、木ヶ津教会が、譲り受けました。
キリシタン布教最盛期、数多くの信者が存在した生月島ですが、1599年(慶長4年)平戸藩が禁教に踏み切り弾圧されてしまいます。
そのため生月島では、密かに信仰を続ける「かくれキリシタン」と呼ばれる、独自の文化を築いてきました。
1909年(明治42年)マタラ神父のもと、教会建築の第一人者「鉄川与助」による教会堂の建設が始まり、1912年(大正元年)にロマネスク様式の山田教会が完成しました。
特徴的なこうもり天井は珍しい蝶の羽のステンドグラスに彩られ、聖地ガスパル様の松の木で作られた十字架、悲しみの聖母像など、生月島ならではの歴史が感じられる教会です。
普門寺は平戸大橋から車で南に約40分の木ヶ津町にある臨済宗のお寺です。
明治初年に平戸城下から現在の木ヶ津町に移転されました。
境内には1814年平戸藩主第21代松浦義(まつらよろし)公が植えたとされる大杉だけで【景粛堂】(けいしゅくどう)が建てられました。
大杉一本で作られたため、一本堂ともいわれています。
1979年(昭和54年)2月に市の文化財(史跡)に指定されました。